註
引用は全て、既訳のあるものは参考にして拙訳している。
(1)Paul Cézanne, Correspondance, recueillie, annotée et préfacée par John Rewald, Paris, 1937; Nouvelle
édition révisée et augmentée, Paris, 1978, p. 324. 邦訳、ジョン・リウォルド編『セザンヌの手紙』池上忠治訳、美術公論社、一九八二年、二五九頁。
(2)Émile Zola, L’Œuvre (1886), in Œuvres complètes, XIII, Paris: Nouveau Monde, 2005, p. 49. 邦訳、エミール・ゾラ『制作(上)』清水正和訳、岩波書店(岩波文庫)、一九九九年、九〇頁。
(3)Cézanne, Correspondance, p. 300. 邦訳『セザンヌの手紙』二三六頁。
(4)Herbert Read, Art Now, London, 1933. 邦訳、ハーバート・リード『今日の美術』増野正衛・多田稔訳、新潮社、一九七三年等。
(5)Fritz Novotny, Cézanne und das Ende der wissenschaftlichen Perspektive, Wien, 1938; Wien, 1970; Erle Loran, Cézanne’s Composition: Analysis of His Form with Diagrams and Photographs of His Motifs, California University Press, 1943. 邦訳、アール・ローラン『セザンヌの構図』内田園生訳、美術出版社、一九七二年;
Liliane Brion-Guerry, Cézanne et l’expression de l’espace, Paris, 1966. 邦訳、リリアン・ブリヨン=ゲリ「セザンヌと空間の表現」持田季未子訳、『エピステーメー 特集=セザンヌ』朝日出版社、一九七七年一月号等。
(6)Maurice Merleau-Ponty, “Le doute de Cézanne” (1945), in Sense et non-sens, Paris, 1948. 邦訳、M・メルロ=ポンティ「セザンヌの疑惑」粟津則雄訳、『意味と無意味』滝浦静雄・粟津則雄・木田元・海老坂武訳、みすず書房、一九八三年等。
(7)Clement Greenberg, “Modernist Painting” (1960), in John O’Brian (ed.), The Collected Essays and Criticism: Modernism with a Vengeance 1957-1969, IV, The University of Chicago Press, 1993. 邦訳、クレメント・グリーンバーグ「モダニズムの絵画」『グリーンバーグ批評選集』藤枝晃雄編訳、勁草書房、二〇〇五年等。
(8)Werner Sombart, Die Zähmung der Technik, Berlin, 1935, p. 10. 邦訳、W・ゾンバルト「技術の馴致」『技術論』阿閉吉男訳、科学主義工業社、一九四一年、一四頁。
(9)Wolfgang Schivelbusch, Geschichte der Eisenbahnreise: Zur Industrialisierung von Raum und Zeit
im 19. Jahrhundert, München, 1977; Frankfurt am Main, 2004, p. 55. 邦訳、ヴォルフガング・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史――一九世紀における空間と時間の工業化』加藤二郎訳、法政大学出版局、一九八二年、七五頁。
(10)Max Nordau, Degeneration, London, 1895, p. 39. 邦訳、Max Nordau『現代の墮落』中島茂一訳、大日本文明協会、一九一四年、四九頁。
(11)Schivelbusch, Geschichte der Eisenbahnreise, pp. 168-169. 邦訳、シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』二四〇頁。
(12)Gyorgy Kepes, Language of Vision, Cichago, 1944; Dover edition, 1995, p. 171. 邦訳、ギオルギー・ケペッシュ『視覚言語』グラフィック社編集部訳、グラフィック社、一九七三年、一五一頁。
(13)Schivelbusch, Geschichte der Eisenbahnreise, p. 61. 邦訳、シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』八〇頁。
(14)Cited in Schivelbusch, Geschichte der Eisenbahnreise, p. 60. 邦訳、シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』八〇頁に引用。
(15)Schivelbusch, Geschichte der Eisenbahnreise, pp. 61-62. 邦訳、シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』八〇‐八一頁。
(16)Francis Lieber, The Stranger in America: or Letters to a Gentleman in Germany, Philadelphia, 1834, p. 181. 邦訳、シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』七六頁に引用。
(17)Alfred de Vigny, "La Maison du berger" (1840-1844), in Poésies complètes, Paris: Garnier Frères, 1962, p. 145.
(18)John Ruskin, Modern Painters, III, London, 1856; Kessinger edition, 2005, p. 280. 邦訳、ジョン・ラスキン『風景の思想とモラル』内藤史朗訳、法蔵館、二〇〇二年、二七三頁。
(19)Cited in Schivelbusch, Geschichte der Eisenbahnreise, pp. 55-56. 邦訳、シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』七五頁に引用。
(20)Schivelbusch, Geschichte der Eisenbahnreise, pp. 57-58. 邦訳、シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』七六‐七七頁。
(21)Eugène Delacroix, Journal de Eugène Delacroix, I (1823-1850), Paris, 1893, p. 386. 邦訳、ウジェーヌ・ドラクロワ『ドラクロワの日記:1822‐1850』中井あい訳、二見書房、一九六九年、二三六頁。なお、ドラクロワのロマン派の造形上の様式的特徴は、まだ写実的なルネサンス的リアリズムに基づきつつも、アカデミズムが重視する理性に基づく素描よりも、感性に基づく彩色を重視する点である。このことが、印象派やセザンヌを始め、新しい抽象的造形表現を追求する後の反アカデミズム的な近代画家達に多大な影響を与えることになる。興味深いことは、ここでドラクロワがわずか六年前に開通したばかりのパリ=ルーアン鉄道路線の車窓風景をいち早く肯定的に楽しんでいる事実である。触覚性を減退させ視覚性を突出させる蒸気鉄道の車窓風景が、ロマン派の素描よりも色彩を重視する感受性に影響を与えたとまでは言えなくても、両者に呼応性があることは確かである。そして、本書全体で見るように、そうした新しい脱自然的な近代技術的現実を肯定的に享受できる心性と、新しい脱自然主義的な近代絵画を推進する美意識に親和性があることも間違いない。このことは、近代技術による心性の変容の象徴的=造形的反映性こそが近代絵画の近代性の最本質であることを示唆するものでありうる。
(22)Friedrich Nietzsche, “Autobiographisches aus den Jahren 1856-1869,”
in Werke, III, Frankfurt am Main: Ullstein, 1969, p. 776. 邦訳、フリードリヒ・ニーチェ「自伝集」『ニーチェ全集(14)この人を見よ・自伝集』川原栄峰訳、理想社、一九八〇年、二四二頁。
(23)Cited in Walter Benjamin, “Das Passagen-Werk,” in Gesammelte Schriften, V (2), Frankfurt am Main: Suhrkamp, 1982; Dritte Auflage, 1989, p. 728.
邦訳、ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論(Ⅳ)』今村仁司・大貫敦子・高橋順一・塚原史・三島憲一・村岡晋一・山本尤・横張誠・與謝野文子訳、岩波書店、一九九三年、一一六頁に引用。
(24)Hippolyte Taine, Carnets de voyage: notes sur la province, 1863-1865, Paris, 1897, pp. 185-186. 邦訳、シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』一〇一頁に引用。
(25)Henry Booth, An Account of the Liverpool and Manchester Railway, Liverpool, 1830; London, 1969, pp. 47-48. 邦訳、シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』七七頁に引用。
(26)Benjamin Gastineau, La Vie en chemin de fer, Paris, 1861, p. 31. 邦訳、シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』七八頁に引用。
(27)Victor Hugo, Correspondance familiale et écrits intimes, II (1828-1839), Paris: Robert Laffont, 1991, p. 421. 邦訳、シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』八七頁に引用。
(28)Cited in Schivelbusch, Geschichte der Eisenbahnreise, pp. 58-59. (English new edition, Berkeley: University of California Press,
1986, p. 60.) 邦訳、シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』七七‐七八頁に引用。
(29)Jules Claretie, Voyages d’un Parisien, Paris, 1865, p. 4. 邦訳、シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』七八‐七九頁に引用。
(30)Paul Verlaine, La Bonne Chanson (1870), in Œuvres poétiques complètes, Paris: Gallimard, 1962, p. 146. 邦訳、ポール・ヴェルレーヌ「汽車の窓から」『ヴェルレーヌ詩集』堀口大学訳、新潮社(新潮文庫)、一九五〇年、一〇一頁。
(31)Robert Louis Stevenson, “From A Railway Carriage,” in Complete Poems: A Child’s Garden of Verses, Underwoods―ballads, New York, 1916, p. 32. 邦訳、ロバート・ルイス・スティヴンソン「汽車の窓から」沢崎順之助訳、『英国鉄道文学傑作選』小池滋編、筑摩書房(ちくま文庫)、二〇〇〇年、一九七-一九八頁。
(32)Émile Zola, La Bête humaine (1890), in Œuvres complètes, XIV, Paris: Nouveau Monde, 2005, p. 183. 邦訳、エミール・ゾラ『ゾラ・セレクション(6)獣人』寺田光德訳、藤原書店、二〇〇四年、三五七頁。なお、セザンヌの最も親しい旧友であったエミール・ゾラは、私生活では、メダンの自邸をこのパリ=ル・アーヴル鉄道路線に面して構え、写真機でその疾走する蒸気機関車の写真を多数撮影している。また、小説家としても、ゾラは実際に一八八九年にこの鉄道路線の蒸気機関車の運転台に乗車取材した後、その翌一八九〇年に同路線の機関士を主人公とする『獣人』(一八九〇年)を発表している。さらに、ゾラは同著で鉄道乗視覚を次のように描写している。「薄明るい夜で、木立の黒い塊りが狂ったように次々と疾走していたわ。〔…〕汽車は、全速力で疾駆していたの……。〔…〕だけど、そのうち荒々しい物音は止んだわ。汽車はトンネルを出て、また薄明るい野原が現れて、黒い木立が次々と疾走していた……。〔…〕私の背後では、野原が飛び去り、木々が身をよじって屈曲しつつ、どれもすれ違いざまに短い叫び声を上げながら猛スピードで私を追いかけていたわ」(Ibid., pp. 163-166. 邦訳、同前、三一三‐三一八頁。)。この記述から分かるように、ゾラのセザンヌ芸術に対する無理解にもかかわらず、セザンヌとゾラは実際にはほぼ全く同時期に、絵画と文学で共に鉄道乗車視覚を芸術的に主題化している。このことは、たとえ観者が実生活で鉄道乗車視覚に慣れ、また文学的に描出できるほど鉄道乗車視覚を内面化していたとしても、絵画に対してあらかじめ固定的・偏見的な先入観を介在させている限り、鉄道乗車視覚の造形的反映を鑑賞することがいかに困難であるかを示す実例でありうる。いずれにしても、セザンヌと最も近しい関係にあったゾラが、殺害状況の告白という作中の最も重要場面で鉄道乗車視覚を極めて効果的に芸術的に主題化していることは注目に値する。
(33)Marcel Proust, “À l'ombre des jeunes filles en fleurs, II,” in À la recherche du temps perdu, II, Paris: Gallimard, 1988, pp. 15-16. 邦訳、マルセル・プルースト『失われた時を求めて(2) 第二篇 花咲く乙女たちのかげに(Ⅰ)』井上究一郎訳、筑摩書房(ちくま文庫)、一九九二年、三八二頁。
(34)Émile Zola, Œuvres complètes, I, Paris: Nouveau Monde, 2002, p. 172.
(35)Émile Zola, Le Capitaine Burle (1882), in Œuvres complètes, XI, Paris: Nouveau Monde, 2005, p. 639.
(36)Cézanne, Correspondance, p. 184. 邦訳、セザンヌ『セザンヌの手紙』一四〇頁。
(37)Camille Pissarro, Lettres à son fils Lucien, présentées avec l’assistance de Lucien Pissarro par John Rewald, Paris,
1950, p. 396. 邦訳『セザンヌの手紙』一九三‐一九四頁に引用。
(38)Cézanne, Correspondance, p. 300. 邦訳『セザンヌの手紙』二三六‐二三七頁。
(39)Émile Bernard, Souvenirs sur Paul Cézanne, Paris, 1912; Paris, 1926, p. 32. 邦訳、エミル・ベルナール『改訳 回想のセザンヌ』有島生馬訳、岩波書店(岩波文庫)、一九五三年、三二頁。
(40)Maurice Denis, “Cézanne” (1907), in Théories: 1890-1910, Paris, 1920, p. 250.
(41)Cézanne, Correspondance, p. 252. 邦訳『セザンヌの手紙』一九八頁。
(42)Ibid., p. 301. 邦訳、同前、二三八頁。
(43)Ibid., p. 303. 邦訳、同前、二三九頁。
(44)Ibid., pp. 314-315. 邦訳、同前、二五一頁。
(45)Ibid., pp. 173-174. 邦訳、同前、一三〇‐一三一頁。
(46)Cézanne, Correspondance, p. 165. 邦訳『セザンヌの手紙』一二二‐一二三頁。
(47)Pour ou contre L’impressionnisme, texts de grands écrivains réunis et présentés par Serge Fauchereau, Paris,
1994, p. 125. 邦訳、セルジュ・フォーシュロー『印象派絵画と文豪たち』作田清・加藤雅郁訳、作品社、二〇〇四年、一七六頁。
(48)Schivelbusch, Geschichte der Eisenbahnreise, p. 166. 邦訳、シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』二三五‐二三七頁。
(49)Clément Chéroux, “Vues du train: vision et mobilité au XIXe siècle,” Études photographiques, n°1, novembre 1996. (http://etudesphotographiques.revues.org/index101.html)
(50)Cited in Henri Vincenot, L’Âge du chemin de fer, Paris, 1980, p. 136.
(51)Edgar Degas, Lettres de Degas, recueillies et annotées par Marcel Guérin, Paris, 1931; nouvelle édition,
Paris, 1945, pp. 277-278.
(52)Daniel Wildenstein, Claude Monet: biographie et catalogue raisonné, III, Lausanne-Paris: La Bibliothèque des arts, 1979, p. 282. なお、モネは一八八三年春にヴェルノン=ジソール鉄道路線の車窓風景でジヴェルニーを発見したと伝えられ、同年四月に移住し、同路線に面して借家している(Ibid., II, 1979, p. 20)。また、モネはその借家を一八九〇年に購入し、一八九三年に敷地を鉄道線路の反対側へ拡張している。つまりそれ以来、母屋と、有名な太鼓橋の架かる睡蓮の池や庭園の間を、日常的に蒸気機関車が往来していたことになる。さらに、モネは一九〇四年頃には自分で自動車を時速八〇キロメートルで運転してジヴェルニーとパリを往復している(第4章「フォーヴィズムと自動車」を参照)。一八九〇年代末からジヴェルニーで描かれ始める《睡蓮》連作を筆頭に、モネの絵画表現における形態や色彩の不明瞭な描写もまた、移動機械乗車視覚と親和性を持つことは決して見逃すべきではない。
(53)Marcel Duchamp, Ingénieur du temps perdu, entretiens avec Pierre Cabanne, Paris, 1977, pp. 48-49. 邦訳、マルセル・デュシャン/ピエール・カバンヌ『デュシャンは語る』岩佐鉄男・小林康夫訳、筑摩書房(ちくま学芸文庫)、一九九九年、五〇頁。
(54)Michel Ragon, L’aventure de l’art abstrait, Paris, 1956, p. 14. 邦訳、ミッシェル・ラゴン『抽象芸術の冒険』吉川逸治・高階秀爾訳、紀伊国屋書店、一九五七年、八頁。
(55)Paul Virilio, L’horizon negatif: essai de dromoscopie, Paris, 1984, p. 167. 邦訳、ポール・ヴィリリオ『ネガティヴ・ホライズン――速度と知覚の変容』丸岡高弘訳、産業図書、二〇〇三年、一五九頁。